夢見りあむ文学と総選挙

※夢見りあむをタイトルに出してますが、夢見りあむに対する個人的な見解は殆ど出てきません。それを取り巻く環境について言及した文章となっております。長いです。

 

  「夢見りあむが許せない」

  この発言から始まったとも言える夢見りあむ文学。原文は、ぽっと出のアイドルに今まで大好きだったものが貶されたから許せないという旨だった。このお気持ち表明が話題となり、良くも悪くもりあむに大きな注目が集まった。そこからりあむに対して言及する者達が急増、さらにそれらの文を評価する者まで現れる。

お気持ち表明の方は単純なるりあむへの憎悪、嫉妬が大多数。だが、りあむを本当に好きで、心からりあむを応援したいと表明する事も当然ある。中にはりあむへの気持ち表明を建前に、関係のない自分の 担当アイドルについて語ろうとする悪質な者もいるが、それはまた別のお話。

 

  たった一人のキャラクターに対し、不特定多数の人間たちによる負の感情と支援の感情が押し寄せてくる。人は負の感情が自己内で抑えきれなくなるとただひたすらに筆を走らせる。人前には出せない陰の顔でりあむが憎いと書き連ねる。だが、それだけではない。輝かしいばかりの正論と声援でりあむを支援する文章も存在しえるのだ。今までに類を見ない、この感情の暴走群をまとめて私は「夢見りあむ文学」と呼んでいる。

 

  夢見りあむというキャラを知らない、もしくは何故ここまで注目されるのかが分からないという人のために簡単に説明しよう。りあむはアイドルマスターシンデレラガールズ(通称デレマス)というゲームに登場するアイドルキャラだ。デレマスは190人のアイドルが登場するコンテンツで、夢見りあむは今年に追加された新人。彼女の立場を簡潔に説明すればこんな感じ。これ以上にもっと詳しく知りたい人はwikiを見てくれ。

 

  夢見りあむにはとある不幸がある。それは彼女の性格がどうたらではない。デレマスというコンテンツに投下された事だ。デレマスは平成最大級の規模で行われている群像劇だ。190人の少女全員がそれぞれに目標、夢を持ち、それをプロデューサーが叶えようと努力する。190人それぞれにちゃんとした設定があり背景がある。この人数の多さと個人の尊重さがデレマス最大の長所でおり、運営が頭を抱える短所でもある。

とある人は言う「SSR四週目実装ありがとう」

とある人は言う「このアイドルの曲イベはまだか」

とある人は言う「いい加減にうちの担当に声をつけろ」

 

  人の数ほどその分の愛があり、重さを問わず日々ネットにて喧喧囂囂。自分の担当アイドルが一番であると信じて今日も生きている。言わずもがなアイドルを貶す事は許されない。その担当Pを傷つけてしまうし、自分の担当アイドルの印象も悪くしてしまうから。破っては行けない暗黙の了解だ。だが最近は運営からの不平等な供給に腹を立てて文句を言い始める者が如実に現れだした。もはや公式Twitterリプ欄は二年前と比べると見るに耐えないものになっている。

 

  さて、そこに投じられた新人アイドル七人。田舎から「んご」だけを引っさげてやってきたあかりんご。ギザ歯ゲーマーあきら。そして三人目にやってきたのが夢見りあむだ。当初はまた濃い個性の奴が来たなとしか思われていなかった。そしてその後のボイス付き四人衆。もちろん彼女らは大きな波紋を呼んだがそれは別のお話。そして何よりもそこからすぐやってきた第八回シンデレラガール総選挙。ここ最近のデレマスの駆け足は凄いなとしみじみ感じる。

 

  今年の総選挙は全く持って読めない。前年度の結果発表時点では来年はこうなるだろうとなっていた予想が、新人七人と、公式の博打的な運営によって掻き回されている。私の予想では一位が未央、二位が加蓮、三位が声なしアイドルの誰か。とぼんやり考えていたが今回の総選挙では様々な事象が起こりすぎているのだ。例年の総選挙で最も奮起するのが声なしアイドルPたち。皆必死だ。私は声なしPではないが気持ちはわかる。彼ら彼女らは少しでも票が欲しい。だがそんな総選挙に今年は大きく三つの事象が起こる。

 

①ボイス付き四人衆実装。

深くは掘り下げないがこれにより引退する声なしPたちが見られた。

 

デレステに新規勢参入。

新人アイドル、ゆずコラボ、しんげき四期。運営の策略により見事新規デレマスユーザーが増加、売上も向上したとのこと。新規はまず第一に、声あり曲ありSSRありのアイドルに飛びつく。これは当然のこと。そして新規はもちろんモバマスではなくデレステオンリーユーザーである。

 

③夢見りあむ中間第三位

遅くなったが今回の夢見りあむ文学の根幹となる出来事だ。まさかぽっと出の雑魚メンタルがここまでになるとは誰が予想しただろう。今年の中間結果発表を生放送でやらなかった理由を何となく察した。

 

  夢見りあむは現時点で公式ではそこまで掘り下げられていない。完全にビジュアルと発言だけで中間第三位を取った。さてさてさて、何年も担当アイドルが報われず、今年こそと思っていたPたちがこの結果を見てどうなるか。溢れ出す感情。飛び出す暴言。そうして生まれた、私が愛する夢見りあむ文学。

 

  私はこの夢見りあむ文学は近代の時代を代表する物になってもいいと思っている。日本文学史の中で最も文豪たちが誕生したのが明治大正なわけだが、その背景には鎖国からの解放がある。多文化を吸収する事で国内だけで研鑽されていた日本独自の感性がさらなる進化を遂げた。昨今はSNSのおかげで単語を検索すればそれに対する人の感想が伺える。Twitterでりあむと検索してみよう。一日潰せるほど楽しいぞ。  

 

  他人の感情が簡単に見に行けるというのは今までになかった文化だ。だがSNS上にある殆どの文章はそこまで気持ちの入っていない呟き。用途がそうなのだから呟きしかないのが当然。だがそこに感情が、しかも憎悪に溢れた感情が出てくるとどうだろう。それは既に作品だ。作者がとある対象に向けて己が綴る文字に感情を乗せる。本屋でよく見る社会派の本やポエム集と方向性は同じではないか。

 

  さらに魅力的なのは、夢見りあむ文学を書き記している者が著名人でもなんでもないこと。文学作品は教養がある者、世間に名の知れた者が出版するのが一般的。才人to凡人。

だが夢見りあむ文学に当然そんなものは関係ない。完全なる凡人to凡人。発する側は売り上げ等を考えずに好き勝手言える。何度も言うがそこに憎悪の感情が乗るのだ、面白くないわけないだろう。事実は小説よりも奇なり。人間の面白さは創作では現さない所にも十二分に残っている。カニミソのような物だ。


  普段から190通りの思惑が飛び交う界隈で、それら思惑が急速に加速、激突。感情高速道路の事故は人の本心をはみ出させる。私は夢見りあむ文学が好きだ。私は他人の負の感情が文字の形をしているのが好きだ。私は正論で負の感情の文章を薙ぎ倒していくのが好きだ。私は人間の奥底に眠っているものが引き出されるのが好きなのだ。


  これ以上語ると本当に長くなるのでここで打ち切ります。また何か書き記したい事ができたらまた。